プリーズ・プリーズ・ミーを初めて聴いた時、その曲は僕にそれほど強烈なインパクトを与えなかった。しかし「Come On, come on」と言う掛け合いのコーラスがどこか耳に残った。その頃、1964年1月20日前後、ビートルズはパリのオリンピア劇場でコンサートを行っていた。そしてその最中、パリのジョルジュ・サンク・ホテル滞在中のビートルズに素晴らしい良報が届く。前年12月26日、アメリカ・キャピトル・レコードから発売された「抱きしめたい」がチャート1位になったのだ(ビルボード誌の公式チャート1位は2月1日)。ビートルズがアメリカのポップ・シーンを制覇、そして世界進出への第1歩を踏み出した瞬間である。日本では1月末、東芝ヒット・パレードでパーソナリティー前田武彦氏が「ザ・ビートルズの日本でのデビュー曲が『抱きしめたい』に変わりました」と番組内新曲コーナーで改めて新人ビートルズを紹介。東芝音工はアメリカでの「抱きしめたい」のヒットを受け、急遽、日本でのデビュー曲を「プリーズ・プリーズ・ミー」から「抱きしめたい」に変更したのだ。「抱きしめたい」の日本リリースは1964年2月5日である。だから東芝はジャケットの印刷からレコード・プレスに至るまで物凄いスピードでリリース進行した事になる。まさに、これがヒットと言うものだ。わくわくするではないか。
「抱きしめたい」を初めて聴いた夜、この曲に僕はなんだか居心地の悪いような印象を受けた。曲が歪んでると言うか、なんだか奇異なものに出逢った感じ。それはこれまで聴いていたポップ・ミュージックとは明らかに違っていた。ギターがガシャガシャとしていて、時に「歌う」というより「叫んでる」感じに響くコーラス、奇妙でやかましい音楽だな、それが「抱きしめたい」の第1印象だった。
その日から約2週間後、1964年2月7日、ビートルズはケネディ空港に到着。アメリカを熱狂の渦に巻き込む。そんな情報はまだ僕には届いておらず、それでも心の片隅でビートルズが小さく微かに鳴り響いていた。そして繰り返しラジオからオン・エアされる「抱きしめたい」にいつしか心が奪われて行く自分に気がついていた。その音楽に圧倒されるのは時間の問題だった。
それと前後して日本でのデビュー直前、何の媒体で見たのか??今では忘れてしまったが初めて「ザ・ビートルズ」の写真に触れる。
そのヴィジュアルはショックだった。これまで僕が知っていたポップ・スターはどこか写真の前で憂いを帯びて構えていたし、気取ったポーズからしてどこか作られた感じがした。しかし初めて見るビートルズの姿は全員が気取り無く笑顔で開けっぴろげな感じがした。そして4人が4人とも同じ髪型(モップ・トップ)で、それはどこかさらに奇妙ではあったが僕は親近感を持った。と言うのは1960年代初期の日本の幼稚園生や小学生の髪型にどこか似ていたから。所謂「ぼっちゃん狩り」と言うヤツだ。つまり僕もそんな髪型だったのだ。そしてモノクロ写真であったから髪の色が黒く、白人と言うより国籍不明な感じ、着ているスーツも僕が幼稚園で来ていた男女共用の襟なし子供服みたいに中性的で年齢不詳、そしてメンバーのひとり(=ポール・マッカートニー。まだ名前を知らなかった)が童顔ゆえ、笑顔で煙草を持っているのが不釣り合いで面白いと思った。
奇妙な4人組と言うのがビートルズ・ヴィジュアル初印象だった。つまり音楽も含め、ビートルズは「奇妙」な存在だった。そしてこの4人がそれからの僕に大きく影響を与え始める。
僕の人生を決定づけたビートルズとの出会いから50年。
今、まさに50年前のその記念すべき瞬間が迫っている。2014年1月26日に行われる第56回グラミー賞はビートルズ・アメリカ・上陸50周年を記念してビートルズに生涯業績賞(Lifetime Achievement Award)を与える事を決定。そしてこの記念すべき授賞式の日にハーフ・オヴ・ザ・ビートルズ、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターの共演が発表された。「抱きしめたい」が全米を制覇して50年。果たして、2014年1月26日、ハーフ・オヴ・ザ・ビートルズは50年ぶりに「抱きしめたい」を演奏するのだろうか?
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