明け方少しだけ降った雨は止んでいた。ビートルズがやって来て初めて太陽が空から顔を出した。そんな気がした。それは多分僕の心と比例していた。
学校に行くと僕のクラスのWやFが待っていた。隣のクラスのKやZ、SやIまでも僕の教室にやって来た。帰国子女のNは今夜の最終公演に行くのだ。みんなが寄ってたかって「ビートルズはどうだった?」って訊いて来る。
だが、僕が昨夜の事を報告したかったのは誰を差し置いても隣の席のマドンナAだった。
僕は昨夜の戦利品「ビートルズ公演のパンフレット」を机の上に披露した。
「おお!」と驚きの声が上がった!
※ビートルズ日本公演パンフレット 1966年7月1日夜の部で手に入れた実物
みんな昨夜のテレビ放映を観ていた。そして僕に矢継ぎ早に質問を浴びせた。「あの会場にいたのか?」「演奏は聴こえたの?」「女の子はキャーキャーうるさかったか?」、下品なKは「女がパンツ脱いで投げるの見たか?」と。
僕は昨夜テレビで放映されたのは昨日の昼の部だった事、演奏はしっかり僕には聴こえた事、会場の歓声がとても大きかった事を得意になって説明した。そしてKにはこれが女子の投げ捨てたパンツだと言ってポケットから丸めたハンカチを差し出した。授業開始までの短い時間、僕の周りは大騒ぎだった。僕はちょっとした英雄気分だっった。
担任Sがホームルームに現れた。みんな蜘蛛の子を散らすように席に着いた。僕は一瞬こわばったがやっとマドンナAとひとつの机に落ち着けることが嬉しかった。僕の緊張を読み取ったのか「落ち着いて」とAは言った。でもこの高鳴る鼓動、実はマドンナAに向けての緊張なんだと僕は知っていた。
定例の起立・礼・着席の号令が終わり担任Sが「昨夜ビートルズのテレビを観たが同じ事ばかりダラダラやってたな」と言った。彼には全てが同じ曲に聴こえたようだった。彼には各曲の差が判断できなかったのだ。さらさら理解する気がないのだから仕方ない。マドンナAが「同じ曲ばかりなんてやってないよね?」と小声で僕の顔を覗き込んだ。「全部別の曲だよ」と僕も小声で返した。そんな僕らのヒソヒソ話を察したのか担任Sは僕に向かって「お前は今日武道館に行こうとしてるのか?」と訊ねた。僕はもうビートルズを観てしまったのだ。その事実は変えようがないし誰も否定できない。誰もこの事実は曲げられない。それは全てと引き換えるくらいの決意だったはずだ。最も望んでいたこのかけがえのない体験を僕は実現してしまった。だからもう恐れるものはなかった。だから不思議と自然に言葉が出た。「いいえ、昨夜行って来ました」
担任Sはギョッとしたような表情を見せた。
「・・・・後で報告しろ」
そう言い残すと担任Sはホームルームを終了した。
僕はコバルト色に塗られた教室の天井を仰いだ。
着席してため息をつくと1時間目の授業が始まるまでの間、昨夜の武道館の話を必死でマドンナAに話した。
シューベルトが好きだと言っていたマドンナAが「ロック&ロール・ミュージックのレコード買うわ」と微笑んだ。
今日はビートルズ日本公演最後の日だ。
今日も昨日に続き昼の部・夜の部2回の公演が行われる。
体育の授業が始まったようだ。
校庭から球技の歓声が風に乗って聞こえた来た。
昨夜の武道館の遠い歓声が僕の耳の奥で鳴っていた。
※1966年7月1日、夜の公演にそなえ武道館貴賓室で待機するビートルズとマネージャー・ブライアン・エプスタイン。4人が僕の前に現れる数十分前。この写真は僕の部屋に飾られている。
ロバート・ウィテカーのオリジナルプリント。
ROCKER AND HOOKER http://www.rockerandhooker.com/
人気blogランキングへ ☜ランキング参加中!1日1クリックご協力お願いします。
コメント