遅まきながら明けましておめでとうございます。
年明けは新年会の連続でまたもや肝臓が悲鳴を上げている。
今年は酒を控えようと思っていたがやはり長年の生活習慣改善は難しい。
さて昨年、大晦日にブログを書いた後、友人たちが催した年越しパーティー・ライブに参加。
間もなく新年を迎えようとしている静まり返った桜新町サザエさん通りにあるパーティー会場へ!
恥を忍んで30分、僕も弾き語りなんぞを敢行。とは言いつつもここ2年くらい結構弾き語りでLIVEなんぞをやらせてもらっている。
平成最後の大晦日にディラン、ビートルズに加え3曲ほどオリジナルをパフォーマンス。しかしながら全部昭和の曲である。
で、その日の夕方、このライブ用のサムピック購入のため2018年閉店間際の楽器屋へ。
そこで僕はそのギターに再会したのだ。
ジャパニーズ・ヴィンテージとしてディスプレイされていたそのギターこそ、僕が13歳のとき憧れ続けたテスコのあのエレキギターである。
正確にはそのエレキギターはTEISCO EP-2Lという品番。
1966年、日本のギターメーカーが発売した初(?)のセミアコのエレキ・ギターである。
前年の1965年、日本は猛烈なエレキギター・ブームに見舞われた。
当時フェンダーやギブソンの価格はギター少年たちにとってとんでもなく高額で手を出せる代物ではなかった。
だから10代の少年たちはテスコ、グヤトーン、スズキ、カワイ、少しランクアップしてヤマハ、そんな国産メーカーからリリースされたエレキ・ギターをそれでもなんとか手に入れバンドの真似事をしていた。
僕もエレキ・ギターというものに惹かれていたがショーウィンドウの中に飾られているそれら国産メーカーのものには今ひとつ心が動かされなかった。
そのほとんどがヴェンチャーズやアストロノウツ、シャドウズからインスパイアされ制作されたソリッド・タイプのエレキ・ギターだった。
といってもフェンダーストラトキャスターなんかには似ても似つかぬ代物ものだったけど。
僕らビートルズ少年、つまり俗に言うリバプール・サウンズに憧れていた少年たちはエレキ・ギターといえば絶対セミアコのものでなければならなかった。
ところが僕らの手が届きそうな値段のセミアコは1965年当時、まだ日本には存在していなかった。
僕らが焦がれていたエレキ・ギターのフォルムは澤田俊吾が抱えている分厚いボディのフルアコタイプではない。
ボディはその半分くらいスッキリと薄いもの。
できればその形状も今でいうワンカッタウエイでなくツーカッタウエイ。
ピックガードが付いてマイク(当時はピックアップなんて言ってなかった)はトースター型のものが2個、しっかりしたトレモロ・アーム(ストラトタイプではなくビグスビータイプ)が装備され、ボディには fホールの開口部が設けられているもの。
そしてボディー・カラーは茶色のボカシ、つまりサンバースト(まだそんな呼び方は知らなかった)!!
そう、ギブソン335やグレッチタイプのものだった。
そんな僕らが夢見ているフォルムのギターが1966年、まさにビートルズ来日直前にテスコから発売された!
値段は9050円!
これならなんとか僕らビートルズ少年にも手が届きそうだ!
それがテスコからリリースされたセミアコTEISCO EP-2Lだった。
そのギターの実物は新宿緑屋のショーウインドウの中で燦然と輝いていた。
来日したビートルズのジョンとジョージは僕の期待をよそにリッケンバッカーとグレッチは抱えていなかった。
二人はエピフォンのセミアコという新兵器で武道館のステージに登場したのだ。
初めて見るエピフォン・カジノ(当然正式名称なんて知らなかった)は新たに僕を虜にした。
そのエピフォンをどこか彷彿させるテスコのセミアコ!!
エピフォンやグレッチ、ギブソン、当然リッケンバッカー12弦のセミアコには永遠に手が届かないかもしれない。
だが僕の身近にいるテスコのセミアコ!!
僕は寝ても覚めてもこのテスコのセミアコのことばかり考えるようになっていた。
夏休みの間、何度も僕は緑屋に通った。
僕はそのギターに恋していた。
ところが、僕の貯金は既に底をついていた。
ビートルズ・チケット購入資格獲得に応募するための300枚近くの往復葉書代、そして当選後に手に入れたビートルズ・コンサートのチケット代。
もう郵便貯金の余裕はなかった。
13歳の僕には9050円はやはり彼方にある金額だった。。
夏休みの終わり、そのギターは緑屋のショーウインドウから消えていた。
誰かの手に渡ったのだろう。
結局、僕にはひと夏の幻のギターとして終わってしまった。
翌年、1967年、日本をグループサウンズブームが席巻していた。
ありとあらゆる大量の国産セミアコギターがリリースされた。
中にはリッケンバッカーそっくりなハニー・リッケンバッカーまでリリースされていた。
グレコ、ファーストマンなんて新参メーカーも登場していた。
そんな中、いつの間にかTEISCO EP-2Lは姿を消した。
その頃になるとエレキ・ギターにはアンプが必要だということも自覚していた。
エレキ・ギター自体が僕には遠い存在になっていた。
結局、僕はエレキ・ギターにまで手が届かなかった。
2年後、いわゆるフォークギターを僕は手に入れていた。
新井楽器というメーカーから発売された奇妙な12弦フォーク・ギター。
サウンド・ホールにトースタータイプのピックアップが装備されていた。
アンプ無しでも通常のギターとして音が鳴る。
12弦というのも当時は珍しかった。
ものすごく厚めのネック。
価格は6500円。
僕にとっては中古で買ったフラメンコギターに次ぐセカンド・ギターだった。
結局1年くらい使用したがそのギターは友人に売ってしまった。
あれから50年以上の月日が流れた。
昭和が遠くなり、今また平成という時代が終わろうとしている2018年大晦日。
そんな僕の眼の前にあの遠い夏の日のエレキ・ギターTEISCO EP-2Lが思いもよらず忽然と出現した。
Time Machineに乗って時の彼方からやってきたかの如く。
ジャパニーズ・ヴィンテージのそのギターは実際はこんなにオモチャみたいなギターだったのだ。
ピックアップもパーツもペグもトレモロアームもオリジナル。
ネックはショートスケール気味のミディアム・スケール。
そしてネックのハイ・ポジションはこんなに弦高だったのだ!!
39,000円と言う値札が付いていた。
迷いはなかった。
僕は思い出を買うのだ。
あの日手に入れることの出来なかった憧れのアイテム。
しみじみと僕はそのギターを見つめた。
"Life is what happens to you while you’re busy make other plans"
こんな再会があるなんてやはり人生は素敵かも。
ROCKER AND HOOKER http://www.rockerandhooker.com/
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とても懐かしく何故か新鮮なような感じで一杯です、当方兄貴から譲ってもらったTEISCO EP-2Lがいまだ押し入れに入ったままです
久々に会って見ようかと思います。元気にしているかな?
投稿情報: hsykono | 2021/07/07 16:10
I have the same guitar in Toronto, Canada. I fell in love with it online and watched it for months until it was sold. I was saddened, then I received it as a Christmas present.
投稿情報: Lisa | 2020/02/09 08:00