先日、「ローリングストーンズ展」〜Exhibitionism~に招待された。
最終日、前日ということで混雑を予想していたが意外や人出は少ない。
2年前に行われたデヴィッド・ボウイ大回顧展は大変な混みようだったからストーンズ展のこの集客には甚だ疑問。
確かに完成度はデヴィッド・ボウイ大回顧展の方が高かった気はするが日本での人気から言えばストーンズの方がボウイよりはるかに勝っているはずだ。
ボウイ大回顧展は本人没後1周年に開催された。
そんな要因も重なりボウイは再評価、集客に繋がったのかも。。
だがやはり原因はプロモーションに差があったような気がする。
メディア露出が足りなかったのか、僕自身いつの間にかストーンズ展のことは忘れてしまっていた。
しかも1ヶ月開催が延長になっていた事さえ招待を受けるまで知らなかった。
それはともかく。
このストーンズ展、なかなか興味深いものだった。
やはり彼らが所持していた実物のギターには感動。
特にキースが初期使用していたハーモニーのギター群やエピフォン・カジノ、メイトンのフルアコやチャーリーのラディックのフルセット。
これらは50年近く前、いつも僕が音楽誌のグラビアで眺めていたものばかりだ。
その楽器たちに思い焦がれていた日々が甦り、なんとも言えない気持ちになった。
そしてアンディ・ウオーホルやジョン・バッシュ、ロバート・フランクなんかのアートワーク制作過程の実物には目を奪われた。
ジョン・バッシュはかの有名なストーンズのベロ・マークをデザインした人物である。
10年位前にカンヌ音楽市MIDEMのパーティーでの邂逅があったから尚更。
またストーンズ着用コスチュームの大量の展示。
プラダ、デイオール、ゴルティエ、アレキサンダー・マックイーン、グッチなんかは現在のミッケーレ・デザインを彷彿させるものもあり当時の彼らのファッション性の高さが窺い知れる。
レコーデイング・スタジオやバックステージの再現が少々チープなのはスペースの問題もあるだろう。
同じく彼らが若い日を過ごしたフラットなどの再現は僕が若い日5週間ほど過ごしたロンドンのフラットとそんなに違いがない。
若者の部屋ってどこでもこんなものだ。
このイベントで僕はとても気になる写真に遭遇した。
それは1枚のモノクロ写真。
このストーンズ展でさして目立つ写真でも無かったし普通なら見過ごしてしまうような場所に設置されていた1枚。
その写真、ストーンズ・メンバーの髪型やコスチュームから判断すると1969年ロックンロール・サーカスの頃か?
問題はこの写真の中でビル・ワイマンが抱えているベース・ギターだ。
一見、リッケンバッカー330のフォルムに近い。
しかし1960年代中盤、リッケンバッカーのベースはポール・マッカートニーが使用していた4001のソリッドタイプのものがほとんど。
セミアコのモデルは1966年にリリースされた4005シリーズのみ。
ところがビル・ワイマンが抱えているベース、このフォルムのリッケンバッカー・ベースは現在までリリースされていない。
ではこのベースのメーカーはどこだ?という疑問が出てくる。
この写真を見て瞬時に僕の頭を過ったのは日本製ハニー・リッケンバッカーだ。
ハニー・リッケンバッカーは1967年に登場した。
当時日本はグループ・サウンズ・ブーム、テレビも雑誌のグラビアも長髪の王子様ルックのバンドがひしめき合うかのように登場しては消えていった。
ちなみに日本でリッケンバッカーのギターを最初に手に入れたのはザ・スパイダーズの井上尭之だった。
1967年春先、井上氏はこのビル・ワイマンのベースと実によく似たフォルムの本家リッケンバッカーを日本楽器ヤマハに依頼して輸入、購入している。
その値段は20万。カラーはジェット・グロー。フラットテイル・ピースは「R」型。
その次に日本でリッケンバッカーを手に入れたのはやはりスパイダーズのかまやつひろし。
ハワイ公演の際に手に入れたスリーピックアップ、ビブラートアーム付き。
ボデイは井上氏のものに近く330、もしくは340というタイプだと思う。
カラーはファイアーグロー。
井上氏のモノもかまやつ氏のモノもサイドにバインディングは無い。
後のポール・ウエラーが使用していたものもこのタイプのフォルムだ。
この2本はグループサウンズのギターリスト達はもちろん、日本中のギター少年達が憧れたリッケンバッカー・ギターの基本的なフォルムである。
そしてこの基本的フォルムのリッケンバッカーを模して日本で発表されたのがハニー・リッケンバッカーである。
※ 注)ハニー・リッケンバッカーの写真はネットの中から拝借させてもらった。ビル・ワイマンが抱えているベースギターとハニー・リッケンバッカー・ベースの画像を検証してほしい。ヘッドのフォルムとテイル・ピースが酷似。
今で言うこのビザール・ギターは本家のリッケンバッカーをかなりうまくコピーしていた(ように思う)。
当時リッケンバッカーを写真でしか見たことのないギター少年達はこのコピーものに憧れた。
それでも値段は2~3万はしていたと思う。
リッケンバッカーが手に入りにくかったその時代、ジャガーズを始め多くのグループサウンズのギターリスト&ベーシスト達がこのハニー・リッケンバッカーを使用していた。
あのタイガースの岸部修三(現:一徳)でさえハニー・リッケンバッカーのベースを使用していたのを僕ははっきり覚えている。
※ 注)ハニー・リッケンバッカーとタイガース
※ 注)タイガースのメンバー、岸部修三と加橋かつみがハニー・リッケンバッカーを抱えている。
もしかすると当時、ハニー社はかなりのモニターを募っていたのかも。
1967年、グループサウンズの連中で本物のリッケンバッカーを手にしていたのは先に紹介したスパイダーズ、そしてランチャーズ。
しかもランチャーズのベーシスト渡辺有三氏は4005、つまりリッケンバッカー・ベースを誰よりも早く使用していた。
このリッケンバッカー・ベースはセミアコ。
シェイプはエッジを丸くした寸胴のホロウ・ボディ。
バックボディにバインディングが施されヘッドは4001と同様に大きな角がついたものである。
つまり先に述べたように60年代のリッケンバッカー・ベースは4001タイプのソリッドものと4005もののホロウ・ボディものに限られていた。
話を元に戻そう。
そもそも60年代のビル・ワイマンはフラムスやアムペグ、VOXといったチープで小型のベースギターを弾いている。
フェンダーのものでさえムスタング・ベースである。
つまりビル・ワイマンはボディが軽量、スケール短めの特殊なベースを好んで使っていたことを考えるとこの写真の中に映っているベースはハニー・リッケンバッカーである可能性が十分ある。
なぜならビル・ワイマンがリッケンバッカー社にオリジナル・ベースをオーダーした記録はこれまでどこにも残っていない。
ましてUSAやUKのギターメーカーでこのようなコピー・ギターはリリースされていない。
以上のことからこの写真に映っている彼のリッケンバッカー330 or 340型フォルムのベースは明らかにリッケンバッカー社のものではない。
僕はこの写真をi-phoneに収めストーンズとギターに相当詳しい友人Aのところに持ち込んだ。
Aはこのストーンズ展を3度訪れていた。
だがこの写真のビル・ワイマンのベースには気がついていなかった。
Aはこの写真を見て即座に
「これはハニー・リッケンバッカーのベースだ!!この写真のストーンズはロックンロール・サーカスの時じゃない。その数ヶ月前、『悪魔を憐れむ歌』の映像収録の時。撮影されたものだ」
と検証、そしてこう付け加えた
「『悪魔を憐れむ歌』のベースはキース・リチャーズが弾いている。多分、レコーディングで使用したのはフェンダーのプレシジョン・ベース。だから映像収録の時だけアテレコでビル・ワイマンがこのハニー・リッケンバッカー・ベースを持ったんだと思う」
同世代のAもハニー・リッケンバッカーのことはやはりよく覚えていた。
日本では1966年にグレコ社からヘフナー・バイオリン・ベースをコピーしたものがリリースされていた。
1967年以降、日本ではハニー・リッケンバッカーに続き多くのコピーものギターがリリースされた。
レスポール・コピー・モデルやテレキャスター&ストラトキャスター・コピー・モデルが楽器屋や通販のページに並んだ。
中にはGibson 、Fenderのロゴマークまでそっくりなものがリリースされていた。
本物に手の届かない時代である。
例えまがい物のギターであってもそれらは僕らの心を奪った。
50年前、ギターってそれほど僕らを魅きつけてやまない特別な存在だったのだ。
このハニー・リッケンバッカー含め当時のコピー・ギターについてしばしAと会話が盛り上がる。
たぶん、僕とAの直感は正しい。
ビル・ワイマンのこのベースはまごう事なきハニー・リッケンバッカーだ。
あの頃、僕らの脳裏に焼きついたギターは時を経ても鮮やかに甦る。
Aは後日、別カットのこの写真を僕に送ってくれた。
結局のところ、ビル・ワイマンがどのような経緯でこのハニー・リッケンバッカー(と思われるベース)を手に入れたかは謎である。
推測するにハニー社はもともとテスコ社(TEISCO CO, LTD)から枝分かれした会社である。
テスコはエレキ・ギターメーカーとしては60年代日本の中核的な存在だった。
その技術は高く評価され、60年代にはイギリス何社かのギター・メーカーからOEMで製造を請け負っていたと聞く。
その当時、ハニー・リッケンバッカーが何らかの形(例えばサンプル品として)でイギリスに渡ったのではないか。
そこからまた何らかの経緯でビル・ワイマンの手に渡った。
これが僕とAの出した結論である。
しかし、こんなどうでもいい話、このブログを読んだ方々はきっと呆れておられる事だろ。
まず、長々と読んでいただきありがとう!と言いたい。
でも僕やAがまだ浅い人生の中で出会った「ギター」は決定的なものだった。
それほどギターというものは僕に夢を見させてくれる永遠のアイテムとなった。
まさに人生の嗜好品である事には今も昔も変わりはない。
ROCKER AND HOOKER http://www.rockerandhooker.com/
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コメントありがとうございす。返信のお礼が遅くなりました。ビザールギター、特に60年台の日本製のものは夢がありますね。ミックリチャーズさんの年齢は分かりませんが私が今で言うビザールギターに憧れていたのは60年代中盤、私は10代半ばでした。当時はフェンダーやギブソンはあまりに高価なもので一生手に入らない代物だと思っていました。
ですから、例えコピーであれグレコやハニーは私たちを十分夢中にさせてくれました。その後、他にもいろんなメーカーが日本で登場しストラトやレスポールのコピーが市場にあふれました。
ハニーリッケンバッカーはそんな時代を象徴するビザールギターだと思います。
このビルワイマンのリッケン・ベースは謎ですが多分写真のフォルムから判断してもハニーのものに間違い無いと思います。
投稿情報: tokyoboy | 2020/09/24 18:03
素晴らしいお話内容です!昨夜ネットオークションでハニーリッケンバッカーギターを購入した者です。その直後にビルワイマンのハニーリッケンバッカーベースのお話を見つけました。ご友人のAさんともども最高に楽しいご関係に拍手を贈ります。
私はギターを50本ほど所有しております。内容はさまざまですが、ビザールギター にも大変興味があります。国産のバーンズが特に好みなのですが、内外問わず
ギターさえあれば毎日が楽しくて仕方ありません。
今後もいろいろな逸話楽しみにしております。
投稿情報: ミックリチャーズ | 2020/09/11 14:21