2014年春先、高知帯屋町商店街。
ほとんどのシャッターが降りた人気の無い真夜中。
僕はさかいゆうのLIVE打ち上げが終わり常宿を目指し歩いていた。
「ひろめ市場」が右に見え始めた時、反対側の曲がり角から突然そのカップルは現れた。
遠目に見てもその人物が認識できるスタイル。
シーナ&ロケットの鮎川誠氏とシーナさんだ。
鮎川さんはライダースのレザージャケットにブラックジーンズ、斜めに被ったベレー&サングラス。
レスポールカスタムを持っていたらそのままステージに登壇しそうな雰囲気。
てっぺんから爪先までブラックビューティー。
世界一このファッションが似合う人だ。
シーナさんもボリュームたっぷりのワイルドなライオンヘア、同じくライダースにミニスカート。
彼女もステージからそのまま降りて来たようなオーラを放っている。
閑散とした夜のアーケードにブーツの足音が鋭利に響く。
それは高知でのギグを終えたばかりの二人の雄姿だ。
僕に気づいた鮎川さんは「何しよる?」といつもの笑顔で応えてくれた。
僕は高知滞在の経緯を告げしばし立ち話をして別れた。
この時が僕の目撃した鮎川さんとシーナさんの最後の2ショットだ。
そんな鮎川さんの訃報が昨日届いた。
その事実を実感として受け入られるまでしばらく時間を要した。
昨日は朝からスタジオにいた。
作業を終えたのが20時過ぎ。
帰りの車の中で鮎川さんとの思い出が次々と浮かんできた。
対向車線のヘッドライトが虚しく通過してゆく。
鮎川さんとそれほど親しかったわけではない。
僕より少し年上だし戦後のベビーブーマー、団塊の世代だ。
ビートルズに出会いギターを持ちブレることなくロック一筋に生き抜いて来た人だ。
飄々として群れることなくシーナ&ロケッツとそのバンドマンとして貫く孤高の生き様は言うまでもなく、それでいて誰に対してもその眼差しは常に優しくイーブンな姿勢で接してくれた。
考えてみれば鮎川さんを悪く言う人に会ったことがない。
誰もが認めるところだ。そんなことを考えているだけでなんだか涙が溢れて来た。
鮎川さんとはこの40数年の中で幾度か邂逅があった。
1978年11月、エルビス・コステロのフロントアクトをシーナ&ロケットで務めた日本教育会館のステージ、その楽屋での出会いに始まり1980年前後RCサクセションとともに何度かイベントやライブを重ねた。
クラブCITTAや野音において杏子と共演したこともある。
小さなエピソードは数え切れないくらいある。
そんな鮎川さんとの忘れられない強烈な、そしてとても大事な思い出は1994年北海道別海町での町興しイベント。
このイベントに呼ばれていたのはシーナ&ロケッツと杏子。
そしてまだデビュー前の海のものとも山のものともわからない無名の山崎まさよし。
当日、野外ステージの舞台裏で僕は鮎川さんに山崎まさよしのことを紹介した。
いつも飄々としていた鮎川さんが山崎をじっと見つめこう言った。
「弾かんでもギター持っちょるだけで上手いのがわかる」
鮎川さんには山崎のギターを弾く運指が見えたのだ。
その音色が聴こえたのだ。
そのリズムの躍動が響いたのだ。
それはきっとギターの神様に背中を押されたものにだけが開くことの出来る「心眼」なんだと僕は思った。
僕は山崎まさよしの能力には絶対的な自信を持っていた。
でもそれが確信に変わったのはきっとこの鮎川さんの言葉によってではないかと今更のように思う。
”きっとギターの神様に山崎まさよしも背中を押されている”
あの日のことを折りに触れて思い出す。
鮎川さん、あの日のことこの先もずっとずっと忘れない。R.I.P
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