1999年。
あるロシア人女性と突然暮らすことになった。
詳しい経緯は省略する。
名前はオーリハ。
彼女の友人達はオルガと呼んでいたが正しい発音はオーリハだと彼女自身が教えてくれた。
なんでも彼女のルーツはウクライナにあるらしい。
だからオーリハはウクライナ風な呼び方なんだと思う。
それを知った時ビートルズのBACK IN THE U.S.S.Rの
"Well,the Ukraine girls really knock me out ,They leave the West behind ~"
ってフレーズを思い出した。
波打つブロンドヘアーは陽光を浴びてプラチナ色に変化する。
そしてその灰色がかった青い瞳。
僕だけはオルガではなくオーリハと呼ぶ事にした。
そう、僕はオーリハにノックアウトされたのだ。
ペレストロイカ以降、ソ連解体は急速に進み90年代には多くのロシア人達が日本にもやって来るようになった。
モスクワ大学で日本語を学びW大学に留学するため日本にやって来たオーリハもそんなロシアからの来訪者の一人だった。
だが、自由を手に入れたはずの新体制ロシアの不況は続いていた。
そして90年代後半の円高はロシア留学生にも厳しい現実を突きつける。
もともと裕福な家庭の出身ではないオーリハは不法就労者としてロシアンパブやロシア料理店で働き生計を立てていた。
しかし実家への仕送りもありいつしかW大学からはドロップアウトしていた。
当時、日本経済はバブル崩壊とは言えエンタメ業界の景気に限ってはさほど悪くなかった。
それはCDセールスがピークの時代でもあった。
オーリハがモデルの仕事やCM、そしてエンタメ業界ミュージシャン達のPV出演等で重宝されていたのはその語学力ゆえであった。
敬語からスラング、関西弁に至るまでほぼ日本語での会話は問題なく通じ合える。
平仮名、カタカナ、少しくらいの漢字、当たり前のように読み書きが可能だった。
モスクワ大学でしっかり学んだと言う事実もあるのだろうがそもそもオーリハは生まれつき言語中枢が発達していたのだと思う。
僕達二人は恵比寿にあった老舗洋食屋「キッチンBON」にはよく出かけた。
オーリハがこの店のボルシチを「日本風ボルシチ」と言って気に入っていたからだ。
そしてここのボルシチのお陰で花粉症が軽減したと喜んでいた。
かつて美空ひばりや長嶋茂雄もこの店の常連でそのボルシチの味を絶賛していたらしい。
ちなみにBONは店主夫婦高齢のため60数年の歴史を終え2018年惜しまれつつ閉店した。
オーリハは時々どこからか「キャビア」なんかも調達して来た。
ちょっとその量の多さにびっくりしながら瓶の蓋を捻る。
かつての飲食勤めから独自ルートを開拓していたのかも。
だが、時にどこかブラックマーケットから現れたスパイのような雰囲気を持つオーリハの容姿を見て僕は勝手にそのサスペンスを楽しんでいた。
だからあえて「キャビア」の入手先は訊かなかった。
そんな日は常備しておいたウオッカをグラスに注ぐのだが意外と度数の高い黒糖焼酎なんかにも「キャビア」は合う。
焼酎と高級食材。
清志郎のフレーズ”さやかな贅沢な気分の夜”を思い出す。
ある晩、キャビア&ウオッカをテーブルに並べ僕達は怠惰な体勢で報道番組をぼんやり眺めていた。
どこかで裏社会の発砲事件があり中国製の拳銃が使用されたニュースが流れていた。
液晶の画面に使用された拳銃がクローズアップされる。
「トカレフだ」ってオーリハが呟く。
「え、何が?」って聞き返す僕に「もともとはソ連製のピストルだよ」とオルガが低く頷く。
そんな時のオーリハはまさに映画の中に登場するシンジケートの女スパイそのものだ!
「おお!タチアナ、オリエント急行で国外脱出しようぜ!」
「ラードナ!!ジェームス!」
いつもの冗談で話を混ぜっ返す。
これは「007ロシアより愛をこめて」の一説から頂いたセリフだ。
タチアナとはソ連情報局に所属するスパイ。
上からの指令で囮として秘密裡にジェームス・ボンド近づくが結局はボンドに恋してしまい国外逃亡に加担する。
オーリハの故郷は黒海の北岸だという話を聞いた事がある。
その地名を教えてもらったがそれがどこだったか今でははっきり思い出せない。
「日本人なんて来たことないからみんなきっと歓迎してくれるよ」
そう言って夏に帰省するから一緒に来ないかと誘われたがイベントや仕事の都合を理由に僕はその誘いを断った。
実際、ソ連解体からさほど時間が経っていなかったし、まだロシアという国自体が僕にとっては得体の知れない場所でもあった。
しかも黒海地域のどこかにある小さな町の事など僕には想像も出来ない遥か彼方。
今では行っておけばよかったと後悔しているが。
結局、プーチンが政権をとって経済が回復した後、様々な事情が重なり2001年11月オーリハは帰国してしまう。
しし座流星群が降るその夜、物言いたげなオーリハの表情を僕はあえて無視した。
幸いなことに振り返れば僕は人生で一番多忙な時間を送っていた。
仕事が一番充実していた時期。
だからその別れもどこかドライな気持ちで受け入れていた。
2003年、オーリハから手紙が届いた。
しっかりした日本語の文字が綴られていた。
結婚の報告だった。
既に子供を身ごもっていることも書かれていた。。
そして2023年。
あれから20年が経った。
ロシアのウクライナ侵攻から既に1年。
その有事が終結する気配は一向に見えない。
「彼女」は今オーリハと呼ばれているのだろうか?
あるいはオルガで通しているのだろうか?
そんな彼女の現在と安否を考える。
結局僕達はオリエント急行に一緒に乗る事は出来なかった。
今宵、ボルシチとキャビア、そしてウオッカを前にあまりに無力な自分を思い知る。
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